2016年12月21日水曜日

モロッコ 5 雑観

◆イスラム圏の旅
初めてのアフリカ大陸。 
↑の旅でジブラルタルから地中海越しに眺望したモロッコを旅した。
西ヨーロッパの旅が多かったのでキリスト教の文化圏が主であった。イスラム教ではマレーシア、ボスニア位。今回はカタール航空利用のため搭乗からアラビア語、経由地のドーハ空港では目以外の全身黒づくめの女性や白い衣装に頭に布を巻いた男性とか、様々なイスラム圏の衣装の人々に出会い異文化を実感した。

◆ねこ
岩合さんの世界猫歩きモロッコ編の通り、どこでも猫を見かける。
アイトベンハッドゥとシャウエン / TV

   ↑同じニャンかも! / 旅

イスラム教では猫が敬愛されているという(豚と犬は不浄なものとされている)、ねこねこ天国。

◆雑貨
イスラム、アラブ文化と山岳南部のベルベル人の文化。織物、陶器、木工、彫金、皮革製品は、手作りのものが多くエキゾチックなデザイン。
食品は、地中海気候を活かしたスパイス、オリーブ油、コルク、バラのオイル、ナツメヤシ、バナナ、オレンジ

◆ツアー
トルコ、エジプトの治安悪化のためモロッコが人気になってきたとの事。発展途上のため公共交通やホテルの設備が完備されていないので個人旅行は難しいがツアーであれば格安で周遊できるのでお勧め。
今回のツアー参加者は、男性6名自分を除いて60歳以上、女性は30〜40代5名、50代3名、60歳以上9名。
1人参加のモロッコ旅ということで、旅慣れた人ばかりでバス、食事席では旅話が尽きなかった。特におば様パワーは計り知れない。

◆飛行機
南周りは時間が掛かるけど深夜発なので旅程を長く取れる。カタール、エミレーツともに金持ちの産油国なので最新機で羽田便なのに安いのが魅力。機内食もまともだしドーハ空港は新しくWihi無料、店も多くて楽しめる。

◆土産
①モロッコの民族衣装 ジュラバ
全身を覆うワンピースにとんがり帽子のフードがついたもので砂避けと防寒のためだとか、田舎ではほとんどの人が着用していた。まるでネズミ男 ¥3000
②パシュミナのショール 1枚¥550
本物の訳がない
③彫金の飾り皿
銅の地金に銀とトルコ石 ¥5000
④アルガンオイル ¥450 / 50ml 


2016年12月19日月曜日

モロッコ 4 アイトベンハッドゥ〜マラケシュ

12月17日 最終地マラケシュに向かう

ワルザザードは砂漠を舞台とした映画のロケ地として有名であり、世界最大級のスタジオがある。

ワルザザードから35km  世界遺産アイト・ベン・ハッドゥは、ベルベル人が造った要塞型の集落遺跡(カスバ)
雪に覆われたアトラス山脈を臨む
昼飯はトマトスープとチキンのタジン
ここからマラケシュまで205kmを北上するが、前日の降雪でアトラス山脈越えが危ぶまれていたが通行可能との事で出発。
無事に2260mの峠を越える。
砂漠との風景のコントラストがすごい。
途中、アルガンオイルの売店に寄る
アルガンオイルは、モロッコにしか育たないアルガンの木の実から絞られる植物油で、抗酸化作用、皮質浸透性等の効能が高い貴重なオイルなんだとか。

アルガンの葉や実は、ヤギの好物で木に登って食べるんだとか。実物は見られなかったけど、検索してみたらビックリ! 見たかったぁ。
マラケシュ着 15:00 市街観光
旧市街は世界遺産に登録されている。
クテュビアの塔
ジャマエルフナ広場

12月18日 市街観光
マジョレル庭園 デザイナーのイブサンローランの別荘
バヒア宮殿
昼食後、マラケシュ空港へ
16:00発QR1395/B787 席28F 2:00ドーハ着(7h)
ドーハ6:10発 QR812/B787 席23F 22:30羽田着(9.5h)
電車0:45帰宅


モロッコ 3 サハラ砂漠〜ワルザザード

12月16日未明4:30 4WDでサハラ砂漠(メルズーガ大砂丘)へ 60km
月の砂漠 (14日が満月)
オプションでラクダ🐪 にも乗れるけど
もちろん徒歩
日の出 雲に映える朝焼けが幻想的
サハラはアラビア語で、荒地・砂漠の意味なんだって
鳥取砂丘では落書き禁止だけど
こちらはOK ガイドさんに確認したよ

ホテルに戻り朝食後出発
砂漠の道を進む  井戸の跡
トドラ渓谷まで150km
ここには現地の方と結婚した日本人女性の宿がある、個人旅行なら訪れたい。
ワルザザードまで 170km 17:30着
HOTEL KENZI AZGHOR OUARZAZATE

2016年12月18日日曜日

モロッコ 2 フェズ〜アルフード

12月15日7:45発 フェズ旧市街観光-アルフード20:30着 460km

世界遺産フェズは、路地が狭く入り組んだ旧市街(メディナ)に 100万人が暮らす。
人がすれ違える位の狭さのため運搬にはロバを使っている。
皮革製品の産地で街内になめし工場がある。ハトの糞を使うためアンモニア臭がすごい。
世界一の迷宮 ラビリンス
ツアーでなければ街内に宿泊滞在してみたい。
彫金細工も名産、土産を買う。
南下してエルフードに向かう。
アトラス山脈越えでは、まさかの雪景色。途中、山岳リゾート地のイフレンに立ち寄る。
山脈を越えると緑が無くなり荒涼が続く。
20:30ホテル到着後 夕飯
HOTEL EL ATI

2016年12月16日金曜日

モロッコ 1 出発〜シャウエン

12月12日-19日 JTB旅物語  ¥149800

ひとり旅専用  総勢23名+添乗員 平井さん


12月13日0:15羽田発QR813/B787 席26F-6:30(12h)ドーハ着 7:30ドーハ発QR1395  /B787 席23F-カサブランカ着13:00(8.5h)

初の南回り航路 幸いにもドーハ迄は壁前の広い席、それにしても搭乗20時間超は 南米並に遠くて辛かった。
バスはドイツMAN製 1人2席はありがたい。現地ガイド、運転手と助手が乗車する。

カサブランカはモロッコ最大の都市

大西洋を臨む海沿いに建つハッサン二世モスクは世界で3番目の大きさを誇る。
観光後に首都ラバトまで90km 
ラバトホテル着17:30

HOTEL HELNAN CHELLAH



12月14日7:30ホテル発-ラバト市街観光

ラバト市街 ムハンマド5世廟

車窓からは草原地帯で、羊、山羊、ロバの牧場、オリーブ、コルクの樹林が続く。


13:00 シャウエン着
シャウエン スペインアンダルシアのイスラム教徒が移民した街 陽射し対策で街全体が水色に彩色されている。
牛肉と鶏肉のケバブ
シャウエンの旧市街メディナ

フェズホテル着19:00 HOTEL NOUZHA FES  夕飯は牛肉の煮込み

2016年9月17日土曜日

クロアチア 8 雑感


【ツアー参加】
ヨーロッパでは初めてのパッケージツアー、日本から添乗員さん同行で、ホテル、食事、移動、観光案内を全て一任できるので気楽に旅を楽しむ事ができた。
移動は専用バスなので効率的に巡る事ができる、特に鉄道が発達していない国では路線バスを乗り継ぐ事になるので個人旅行では倍近くの日数になるだろう。
到着空港でトランクをバスに積んでもらい、座席にはショルダーバッグを置き、観光では貴重品のみの小さなリュックで手ぶらで歩ける。ホテルでもトランクはポーターさんが部屋まで運んでくれる気軽さ。着替え等の荷物をたくさん持っていけるので快適に過ごせる。 個人旅行(周遊)では、バックパックを背負って移動し宿では洗濯、駅やバスターミナルで時間待ち(まぁそれが楽しくもあるのだけれど)。
それでいて、料金は個人手配より安い、ヨーロッパ6泊なら飛行機とホテルだけで20万超えるのに不思議、前に参加したアジアのツアーでは1日3回も土産屋に連れて行かれてうんざりだったのに今回のツアーは一切なし、利益あるのかな?

•添乗員さん、明朗な人柄で旅を楽しめました。今回のツアーは24名と少数で旅慣れたリピーターだったが、常に全員の所在を確認してるのに感心した。自分は最後まで全員を覚えられなかったのに、、40名位のツアーやトラブル客いたらたいへんだわ、月2回は海外添乗してるんだろうけど体力も半端ない。

【ユーゴスラビア紛争】
今回訪れた、スロベニア、クロアチア、ボスニアヘルツェゴビナは、美しい景色と中世からの街や田舎に暮らすのんびりとした人々、とても平和な国を感じたが、、
ほんの25年前、旧ユーゴスラビアから分離独立した際には、元同国人同士が激しい内戦を繰り返した悲しい経緯を持つ。
■歴史
ヨーロッパの火薬庫と呼ばれていたバルカン半島は多民族が混在していたことから民族間の争いが絶えず第一次世界大戦のきっかけになった。
(人種的には南スラブ人が大多数であるが、住む場所や宗教の違い(カソリック、正教会、イスラム)で民族が分かれていった)
第二次世界大戦後は、東側陣営としてユーゴスラビア社会主義連邦共和国を成していたが、ポーランドやハンガリーなどのソ連の衛星国とは違って独自の国家を保ち、チトー大統領のカリスマと国内融和政策で民族主義が抑えられていた。
•ソ連崩壊
1985年に始まるゴルバチョフによるペレストロイカ、ソ連民主化により東西緊張は失せ、1989年にはハンガリー、ポーランドの民主化、ベルリンの壁崩壊、1990年ドイツ統一、バルト3国の独立、ソ連崩壊と繋がる。
•ユーゴスラビア紛争
チトー大統領は1980年死亡、ソ連、東欧の民主化により、ユーゴスラビ連邦の各国では民族主義が台頭し独立運動が激しくなる。
1991年にスロベニア、マケドニアが独立、セルビアともっとも対立していたクロアチアは激しい争いで独立したが領内に住むセルビア人自治区を巡るユーゴスラビアとの紛争は1995年迄続き大量の死者とセルビア人難民を生み出した。
1984年開催の冬季オリンピックのサラエボはボスニアヘルツェゴビナの首都、平和の祭典の数年後、1992年、ボスニアヘルツェゴビナは独立宣言するが、ボスニアは44%のムスリム人、17%のクロアチア人、17%のセルビア人が混在していたため領内での対立、セルビア、クロアチア軍の介入により死者20万人、難民200万人、民族浄化による大量虐殺や強制収容と最悪な紛争となった。アメリカ、NATOによる介入により1995年に終結した。
クロアチア、ボスニアから避難したセルビア人難民は、コソボ地区に移住したが、1998年、アルバニア人によるコソボ解放軍が独立を目指し紛争が激化し1999年NATO介入によりセルビアからの実行支配からは脱した。ただしコソボの独立はロシア、中国、スペインなどには承認されていない。

【その頃】
ソ連の民主化に始まり欧州、特に東欧圏では独立、紛争と大混乱が起きていた頃、、、
日本ではバブル景気に浮かれていたっけ、入社し社会人となった私、当時はパソコンも海外旅行も一般的ではなく、新聞やニュースで耳にしても遠い地で起きてる事件位にしか感じていなかった。コソボとコンゴ、ボスニアとソマリアの違いもわかっていなかったかも。
一方、近隣のアジアには興味があり、ベトナム戦争の終戦、中国の文化大革命、カンボジアの虐殺は深く記憶している、そして衝撃的だった天安門事件。1990年初めての海外旅行に北京3泊4日、天安門事件の半年後であった。
韓国、台湾も軍事国家で、渡航にはビザが必要、市内で防空演習に巻き込まれたりと今では考えられない緊張感があった。
たった25年前の出来事、中東の混乱、ナショナリズムが台頭してきている現在の情勢、今後の25年、世界は平和を維持できるのか歴史を繰り返すのか?遠い地の出来事と楽観できるとは限らない。







2016年9月14日水曜日

クロアチア 7 帰国

9月13日
市内の空港まで30分
空港内のスーパーで土産購入
10:45 Graz-Frankfurt 12:05 LH1577
13:40 Frankfurt-成田 +8:15 LH0710
土産